小太郎山から八紘嶺・白峰山脈全山縦走(南ア・安倍奥)

date 1981/7/17-26
コース 広河原〜小太郎山〜北岳〜間ノ岳〜三峰岳〜間ノ岳〜農鳥岳〜大唐松山〜広河内岳〜奈良田越〜転付峠〜保利沢山〜笊ヶ岳〜所ノ沢越〜青薙山〜小河内岳〜大笹峠〜山伏〜八紘嶺〜梅ヶ島温泉
実働 第1日6h23m、第2日4h42m、第3日10h08m、第4日6h48m、第5日6h14m、第6日5h21m、第7日7h22m、第8日8h49m、第9日9h53m、第10日5h14m、計70h54m
メンバー すうじい、カニ、O君、A君、エビ(転付峠から田代入口へ下山)
概要 小太郎山から八紘嶺まで白峰山脈全山縦走、大唐松山往復、薮と雷雨。
行程 【7月17日】晴のちガス
甲府=広河原5:10→1h50m→二俣→1h50m→小太郎山分岐→1h02m→小太郎山→1h08m→分岐→33m→14:30肩ノ小屋(幕営)

【7月18日】快晴
肩ノ小屋5:13→37m→北岳→2h07m→間ノ岳→25m→三峰岳→33m→間ノ岳→1h→12:25農鳥小屋(幕営)

【7月19日】ガスのち晴のち夕立
農鳥小屋3:40→1h38m→農鳥岳5:55→1h56m→・2633直下→4h34m→キャンプ跡→2h→14:30・2580手前平坦地(幕営)

【7月20日】晴のち雨のち曇のち雷雨のち晴
・2580手前平坦地5:20→1h40m→7:07大唐松山8:00→1h13m→・2580手前平坦地→2h03m→・2633直下→1h50m→15:23 2900M付近(幕営)

【7月21日】晴のち曇のち時々雨
2900M付近6:35→1h→広河内岳→1h50m→白河内岳→3h→白剥山→24m→15:10奈良田越手前小屋(幕営)

【7月22日】晴のち曇
奈良田越手前小屋6:20→15m→奈良田越→1h38m→・2159小屋→48m→転付峠→2h10m→保利沢山→30m→15:15・2382手前(幕営)

【7月23日】曇
・2382手前4:47→2h04m→生木割→2h18m→笊ヶ岳→1h17m→布引山→1h43m→14:30所ノ沢越(幕営)

【7月24日】曇
所ノ沢越5:02→2h56m→稲又山→1h26m→青薙山→4h27m→14:53・2115手前(幕営)

【7月25日】曇
・2115手前4:25→1h03m→青笹山→5h50m→小河内岳→3h→14:58大笹峠(幕営)

【7月26日】曇
大笹峠4:45→20m→山伏→3h10m→八紘嶺→1h44m→12:10梅ヶ島温泉=静岡
記録  昨年秋の、南ア南部大縦走の成功に味をしめ、今度は夏の「白峰山脈全山縦走」を企画した。O君の書いた山行記録を基にして、すうじいなりの記録を書いてみよう。

【7月17日】晴のちガス
 甲府駅で、五人の人と大荷物を運んでくれるタクシーを、やっと見つけて、広河原へと向かう。明るくなってから、広河原を出発する。大樺沢は、二俣で雪渓が現れる。右俣に入り、やがて雪渓と別れ、数個の雪田を経由して、稜線に至る。小太郎山分岐で、時間の余裕があるので、今日のうちに小太郎山を往復する。目の前に見えてはいるが、意外と遠い山で、少々骨が折れた。稜線上かトラバースかで迷うところはあるものの、道ははっきりしている。

 肩ノ小屋に到着して、一段下のハイマツのサイトにツェルトを張る。昨日は夕立が5時間も続いたそうである。

【7月18日】快晴
 北岳山頂での展望が素晴らしい。間ノ岳山頂付近には、雪田が残り、自然と大タルミになってしまう。昨日のうちに小太郎山を往復したので、今日は、春合宿想い出の三峰岳往復を加える。間ノ岳から農鳥小屋への下りは、晴れていれば「富士山目指して」下れば良いが、地形の複雑さから、視界不良時は大変そうだ。だが実際は、赤と黄のペンキで「農鳥小屋→」マークが、3-5mおきにベタベタと岩に書いてあるので、無雪期には心配無用だ。

 農鳥小屋のサイトはツェルト向きでなく、木切れと看板を利用して、何とか設営する。見上げる西農鳥が、とても格好いい。

【7月19日】ガスのち晴のち夕立
 今日はいよいよ、今山行のメインエベント大唐松山往復へ向かうのだ。夜明け前出発。ガスと強い西風だ。西農鳥は小ピークが林立し、主峰がハッキリしない。農鳥岳あたりで、ガスが晴れる。農鳥岳南峰から、標高3000mのハイマツ漕ぎで、急斜面を下り始める。直下の肩から踏跡に合流し、これを辿る。

 下りきったコル近くまで来ると、踏跡不明になる。やむなく稜線に忠実に行くと、再び猛烈なハイマツ漕ぎとなる。この尾根には、後で判ったことだが、北面のかなり下がった所に、トラバースの踏跡があるのだった。しかし、そんなこと知る由もない。稜線上で、四時間半にもわたる、猛烈藪漕ぎのバトルが続き、キャンプ跡の切り開きに出る。絶好のサイトではあるが、もう少し頑張ることにする。この後は、薮も薄くなり、良く探せば北面に踏跡が見つかる。尤も、トップのカニは、どんどん先に進み、踏跡を教えようにも声が届かない。14:30・2580手前平坦地を、本日のサイトに定める。

 カニとエビに白羽の矢を立て、水汲みのため、北面の傾斜の緩い涸れ窪を下らせる。しかし、南面の急傾斜谷の方が確率高かったかも。結局、水を得られずに、戻ってきた。ところが、天は我らを見捨てず、恵みの夕立が降り、フライとポンチョで天水を集めることに成功した。

【7月20日】晴のち雨のち曇のち雷雨のち晴
 昨日のペースだと、今日中に農鳥の稜線に戻ることは無理であろう。重荷はサイトに残し、最小限の装備で、大唐松山のピストンに出掛ける。樹林帯の踏跡は明瞭で、昨日より随分と楽だ。大唐松山山頂には名刺入れが置いてあり、年に1-2パーティが訪れている。今年は、我々が初めてらしい。ここから見る北岳・間ノ岳も、なかなかである。おそらく、二度と訪れることは無いであろうピークを、十分に味わい、引き返す。

 サイトに戻り、撤収する。昨日見つけた北面トラバースの踏跡を辿って、・2633直下コルまで戻ることにする。途中、11:00頃、一過性の雨に降られる。最後の方で、踏跡は幾筋かの薄い踏まれとなり、草地の斜面に消える。やむなく、・2633北の緩く広い谷に降り立ち、背丈を越えるハイマツ漕ぎに突入するが、二十分程で解放され、・2633直下コルに至る。往きには六時間半かかったところが、帰りは二時間であった。

 コルからは、踏跡を探しだし、次第に明瞭になる踏跡を、忠実に辿る。往きにハイマツを漕ぎ下った農鳥南峰直下の急斜面はパスして、南面をトラバースして行く。ハイマツの島々が点在する斜面で、雷雨に襲われる。隠れるところもないので、雨具を着て、皆バラバラにハイマツの陰に蹲る。雨はやがて雹混じりとなり、体温を奪って行く。雷が近くに落ちる音がする。冷たい雨にじっと耐えること、一時間強。小降りになったところで、ここをサイトと定め、ハイマツの陰に、バラバラにツェルトを張る。気が付けば、虹が二重に懸かり、遥か彼方には、八紘嶺らしき山も望まれる。この夜は、濡れと寒さに震えて耐える、ビバークらしいビバークとなった。

【7月21日】晴のち曇のち時々雨
 撤収し、農鳥岳南側の稜線に出る。大門沢下降点で、広河内の大門沢沿いへ下る道を見送る。広河内岳〜大籠岳〜白河内岳には、ハイマツに囲まれたツェルト向きのプラッツが多い。

 白河内岳までは、岩ゴロゴロの稜線の道が続き、その先で、樹林帯に入る。踏跡・赤布は明瞭である。笹山には、広いサイトも豊富である。今日の道のりは、概ね快適で、時間に余裕があるので、更に進む。正午頃から、降ったり止んだりの雨が続く。白剥山を越え、奈良田越の少し手前に、古い作業小屋を見付けて、中に入る。ツェルト二張を張ると、いっぱいになる広さのボロ小屋であるが、雨模様なので有り難い。

【7月22日】晴のち曇
 事前情報通り、奈良田越で林道に出くわす。山腹をゆく林道を離れ、稜線通しに藪を漕ぐ。藪漕ぎらしい藪漕ぎをした後、林道が稜線に上がって来たので、これを辿る。途中、きれいなしっかりした小屋がある。転付峠で、エビが一人下山する。田代入口方面へ10分ほど下ると、良い水場がある。

 更に、稜線の林道を進むと、右へ下る道を分けて、しばらくで、林道が途切れ、山道となる。保利沢山の手前でトラバースする山道と別れ、稜線を進む。倒木がやたら多くなり、歩きにくい。保利沢山を過ぎ、・2382P手前の、樹林と藪に囲まれた静かな場所を、サイトにする。

【7月23日】曇
 相変わらず、ジメジメした倒木帯が続く。ギンレイソウが、ちらほら目に付く。笊ヶ岳山頂では、ガスで、期待していた展望が得られず、皆ガッカリしている。名刺入れの中にある、見事な展望を称える言葉が恨めしい。

 この先、道はハッキリしてくる。布引山南面のガレは酷く、古い踏跡は崩壊地に消え、新たな踏跡が、北面の針葉樹林帯に付けられている。所ノ沢越に至り、サイトにする。これで、計画より一日先行したことになる。アザミの生えた峠道を、大井川側へ10分も下れば、谷に水が出る。

【7月24日】曇
 所ノ沢越から一つピークを越えた所に、大きなしっかりした作業小屋がある。そこから、稲又山に向かって、大きく禿げ山となっている。伐採跡を通る踏跡には、切り落とした枝が捨てられ、棘のある植物が生い茂り、とても歩ける状態ではない。これを避けて、稜線左側の樹林帯を行くが、こちらもやたら倒木が多く、時間ばかり食って、捗らない。稲又山手前で、やっと踏跡に合流し、ペースが回復する。

 青薙山山頂は、やたら明るい。緑の絨毯の上に、白い枯木が疎らに立つ。時間が停止したような空間だった。この先、笹が多くなる。青薙山から少し戻り、南のイタドリ山方面へ縦走を続ける。一つ目、二つ目の鞍部は、左は急な樹林帯、右は急なザレとなっている。稜線上の踏跡は下がえぐられていて、まるで雪庇上を歩いているようだ。その先の最低鞍部は、見事な笹原となっていて、気分最高だった。この日は結局、伐採跡のせいで、青笹山まで行けず、2115P手前の笹原をサイトにする。

【7月25日】曇
 笹藪が蜿蜒続き、はっきりした踏跡は見当たらない。笹藪の中に、倒木が無数に隠れていて、時折脚をぶつける。イテテ。遙か山伏の北面に、林道らしき線が見えるではないか。ショックは隠せない。小河内岳からの下りでは、赤布や踏跡もどきに惑わされ、猛烈な藪漕ぎを強いられる。

 大笹峠。いきなり立派な林道に飛び出す。やっぱり、そうだったか・・・。藪漕ぎを目的としたこの山行のクライマックスに、何ということであろう。一同気が抜けて、山伏に取り付く元気もない。道路脇にツェルトを張り、侘びしい夜を過ごす。

【7月26日】曇
 泣いても、笑っても、最終日。山伏までは、ものすごい急登だが、その先はダラダラ歩きとなる。大谷崩は、地図で見るのと違い、実際はさほどでもない。八紘嶺の登りは、ニセピークが多く、精神的に疲れる。厭になった頃、山頂に至る。生憎、展望は得られない。長かった山行を思いつつ、長タルミする。

 八紘嶺からの下りで、久々の登山者と擦れ違う。大門沢下降点以来である。トップのカニが、スピードを上げる。ひたすら下ると、安倍峠越えの林道に出る。再び林道を離れ、樹林帯の道を下ると、待望の梅ヶ島温泉に出た。

 静岡市営の公衆浴場で、10日間分の汗と垢を流させて貰おう。

アルバム

T:小太郎山から間ノ岳

U:農鳥岳・大唐松山往復

V:白峰南嶺・青薙山・八紘嶺

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