奥穂高岳〜焼岳(北ア)

MR235 奥穂高岳〜焼岳(北ア)

date 1985/07/09-10 
コース 涸沢ヒュッテ〜ザイテングラート〜奥穂高岳〜西穂高岳〜新中尾峠〜焼岳〜新中尾峠〜田代橋〜上高地
実働 第一日:8h10m、第二日:5h50m、計:14h00m。
メンバー すうじい(単独)、Ht君(奥穂高岳まで)
概要 梅雨の晴れ間をついて、奥穂〜西穂縦走、焼岳の壮絶な火口壁。
行程 =:バス・鉄道、→:山道、:溯行、\\:藪漕ぎまたは詰め

【7月9日】 快晴
涸沢ヒュッテ7:15→(10m休)→8:55白出ノコル9:10→9:40奥穂高岳9:50→(10m休)→(10m休)→(10m休)→14:10西穂高岳14:40→15:30西穂独標15:40→16:00気象通報16:30→17:25西穂池17:45→18:00 BP(泊)

【7月10日】 曇のち雨
BP 7:25→(10m休)→9:15新中尾峠10:05→11:30焼岳北峰11:35→12:20焼岳展望台12:35→14:35上高地15:00=16:55松本17:02=高尾
記録  奥穂〜西穂〜焼岳の稜線は、以前より狙っていたものである。雨天の続く今年の梅雨の最中に、たった1日の晴れ間を捉えて、奥穂〜西穂の岩稜を縦走出来たのは、実に幸運であった。焼岳にはおっかなびっくり登ったが、その壮絶な火口壁に、強烈な印象を受けた。

【7月9日】 快晴
 昨夜の天気図から予想された通り、空は晴上っている。どうせ明日は再び崩れるだろうから、今日のうちに西穂まで行くことにする。ヒュッテで朝飯を御馳走になり、弁当も受取って、岳沢へ下るHt君と二人で出発する。ザイテンを登って、白出ノコルの穂高山荘に至るが、水がない。目下、水を引く工事中のようだ。止むなく、ポリタンに雪を詰めるが、これが却って良いことになる。

 奥穂の山頂でHt君と別れ、ジャンダルムヘ向う。兎に角湊いナイフリッジだ。両側ともスッパリと切れていて、落ちたら終わりである。尾根の傾斜の緩いうちは、バランスでスタスタ歩けるが、急な下りになるともういけない。岩稜にへばりついて、三点支持で慎重にクライムダウンしてゆく。全く調子が出ない。それにしても、とんでもねえコースだぜ。やたらビビっている自分が情け無い。確かここは一般コースの筈だぜ。ガレた下りはもっとイヤラシい。シーズン前で、やたら浮き石が多い。コルからロバの耳の飛騨側を、巻き気味に登る。ここは鎖場になっている。

 ジャンダルムの岳沢側をトラバースして、コブ尾根の頭でタルむ。奥穂から1P。先が思いやられるぜ。天狗ノコルまでは少し楽だ。コルから天狗の頭への取り付きが急で、チムニー状の鎖場を腕力で登る。天狗の頭に至り、2P目を切る。まだまだ西穂ま遠いぜ。ポリタンの氷水がやたら旨え。

 間ノ岳で3P目を切る頃には、体力的にも精神的にも摺り減ってきて、恐怖感など失せてしまう。越せども越せども現れる、新手のピークにウンザリしながら、4Pでやっと西穂に辿り着く。

 頂上にいた二人連れのオバサンとシャッターを押し合ってから、弁当を広げる。何故かミカンの缶詰を貰う。独標への下りには、まだまだ小ピークが多く、更に消耗させられる。西穂山荘に至る手前で、天図を取る。山荘付近から樹林帯になり、上高地に下る道を左に分けると、私好みの落ち着いたコースになる。暫く行くと、左手に西穂池が現れ、ヤブを漕いで水を汲む。さらに進むが、良いサイトも無いので、山道の真ん中にツェルトを張る。ほんとに今日はよく歩いたぜ。夜中に雨が降り出す。

【7月10日】 曇のち雨
 濡れた笹を分けて縦走を続けるうち、下半身から靴の中までビッショリになる。やはり、夏の朝の1〜2Pは雨具の下が必要だ。新中尾峠の焼岳小屋には、兄ちゃんが一人暇そうに、コタツで本を読んでいた。天水を貰って、紅茶を大量に飲む。水場のない泊りは、精神的にも渇くものだ。行動食を腹に詰めていたら、雨が降り出す。

 決意を固めて、焼岳に向かう。2130Pにある焼岳展望台に立っても、焼岳は雨とガスの中に隠れている。旧中尾峠を経て踏跡を辿ると、いつの間にか草も姿を消し、左手に峠沢上部の崩壊溝が迫る。さらに登ってゆくと、この沢状の真ん中で、硫黄臭い蒸気が吹き出ている。ここで沢状の右岸に渡るのだ。右岸尾根を忠実に辿ると、正面に大岩壁が迫る。白ペンキに導かれ、大岩壁の基部を右ヘトラバースし、さらに浅いガレ沢状もトラバースして、ザレた小尾根状を登る。オーバーハングした火口壁の上に出るが、今にも崩れ落ちそうだ。この火口壁に沿って左へ進み、浮き石だらけの不安定な斜面を登り切れば、2430Mの焼岳北峰はもうすぐだ。

 北峰に立てば、時折切れるガスの合間から、深い緑の火口湖を挟んで、2455.4Mの南峰が招く。しかし私は十分にビビっていて、もうあそこまで行く元気はない。北峰直下では白い蒸気が大量に吹き上げ、南峰とのコルヘの下降ルートも定かではない。火口湖を取り囲む岩壁の、この世のものとも思われぬ凄惨・悪絶な様に、来てはいけない所に来てしまった自分の身を襲いうる、悲惨な運命を連想して、慌てて引返し始めるのであった。

 下りは、足元の土砂が崩れ、石も浮いているので、神経を使う。左手の火口に落ちたら絶対に助からない。とんでもねえ、と繰り返しながら、クライムダウンしてゆく。火口縁から、ザレた小尾根状に移れば、ひと安心。大岩壁の基部をトラバースし、例のザレた右岸尾根を飛ばして下る。蒸気の吹き出す沢状を左岸へ渡って、あとはルンルン下りだ。2130P展望台で振り返ると、一瞬ガスが切れて焼岳が姿を見せた。すげえなあ、と感動を新たにする。

 雨の中でタルんでから、焼岳小屋を素通りして、上高地へと下る。峠沢の崩壊の拡大に伴い、この道も難所が多くなっている。2箇所ほどある梯子場の梯子はグラグラだし、濡れた桟道は滑り易く難色だ。1570M付近で左岸から出合う枝沢を徒渉する。ここから田代橋までは、まるで沢か沼の中を歩いているようなもので、非道え道だぜ。立派な帝国ホテルを、私もいつか泊る日が来るのかしらん、などと横目で見ながら、上高地のバスターミナルまで歩く。

 心配された雨による道路の通行止めもなく、タクシーに相乗りした二人連れは、白骨温泉に泊ると云うので、白骨温泉経由で松本まで。私も折角だから温泉に入って帰れば良かったのだけど、面倒くさがりと貧乏性で、チャンスを逃がしてしまった。

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奥穂高岳〜焼岳'85-07

MR234_ 涸沢荷上げ(北ア)'85-07

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