茶臼岳・光岳・池口岳・鎌崩岳(南ア深南部)

MR107 茶臼岳・光岳・池口岳・鎌崩岳(南ア深南部)

date 1981/9/29-10/5
コース 八木尾又〜畑薙大吊橋〜ウソッコ沢小屋(泊)〜茶臼岳〜光小屋(2泊)〜光岳〜池口岳〜2194P(BP)〜黒沢山〜六呂場峠(BP)〜鎌崩岳〜鎌崩〜鎌崩岳西尾根〜戸中山林道〜清滝休憩所(泊)〜水窪ダム〜灰ノ沢バス停=水窪駅
実働 第1日1h55m、第2日7h32m、第3日停滞、第4日7h55m、第5日9h38m、第6日8h06m、第7日2h45m、計37h51m
メンバー すうじい、カニ
概要 畑薙大吊橋から南ア深南部縦走、鎌崩の通過が出来ずに、鎌崩岳西尾根から水窪へ脱出
行程 【9月29日】曇
静岡=八木尾又12:55→13:10ヒッチ=畑薙ゲート13:50→14:20大吊橋14:40→15:50ウソッコ沢小屋(泊)

【9月30日】曇のちガス
ウソッコ沢小屋4:50→5:37中ノ段5:47→横窪沢小屋6:15→6:40休6:50→8:30茶臼小屋9:20→茶臼岳9:55→10:05仁田池10:15→11:08 2352P 11:18→12:00易老岳12:30→13:20休13:30→14:15水場14:30→14:47光小屋(泊)

【10月1日】風雨
光小屋停滞(泊)

【10月2日】霧雨のち快晴
光小屋5:45→6:10光岳6:55→8:15 2381P 8:25→加加森山9:20→9:30休9:55→10:55休11:10→12:00池口岳北峰12:10→南峰12:35→13:00水場13:15→14:15鶏冠山北峰2204P 14:25→南峰14:50→15:50 2194P(BP)

【10月3日】ガスのち快晴
2194P 5:20→5:30コル6:05→三又山6:45→6:55休7:15→7:50中ノ尾根山8:30→9:30 2164P 9:40→10:45 2095P 11:00→12:50黒沢山13:37→14:32 1901コル14:42→1995P 15:36→15:50(天)16:05→18:10六呂場峠(BP)

【10月4日】晴
六呂場峠6:02→6:12北東の水場6:15→6:38六呂場峠6:53→7:53休7:58→8:48休8:54→10:18鹿ノ平11:00→11:47鎌崩核心部手前(寸又側下降偵察)13:30→鎌崩岳13:45→14:23休14:33→15:20休15:30→16:20戸中山林道16:38→17:35夕食19:05→19:10清滝休憩所(泊)

【10月5日】曇
清滝休憩所5:30→戸中山事務所5:50→6:25休6:35→7:35自然クラブセンター入口7:45→7:55水窪ダム8:00→8:40灰ノ沢バス停8:45ヒッチ=8:55水窪駅
記録  昨秋の光〜荒川三山縦走で、南アルプスファンになったすうじいとカニは、いよいよ深南部へと向かうのであった。

【9月29日】曇
 バイトから地下鉄終電で帰り、パッキングに手間取って、両名とも朝寝過ごす。お茶の水駅で、東名バス乗車券を、新幹線へと変更して貰うが、無能な窓口のため、時間を食う。特急料金が手痛いが、カニは更に、乗車券・特急券を紛失してしまい、ダブルパンチ。

 静岡鉄道のバスセンターに行くと、この時期、畑薙ダム行きのバスは出ておらず、八木尾又までしか入らぬと言う。やむなくそれに乗る。かったるいバスは、途中二度の大タルミをしたのち、八木尾又着。そこから「あ〜あ、ウソッコ沢は夜中だなあ・・・」と思いつつ、15分ほど歩き、トンネルを二つ抜けた所で、砂トラックに便乗できた。車止めゲートのある作業事務所まで、乗せて貰う。

 そこから更に30分、畑薙湖を左に見ながら、林道を歩くと、畑薙の大吊橋だ。S運転手を思い出しつつ、登山者カードに記入し、大吊橋を渡る。昨秋は土砂降りの雨の中だっけ。ノンレスト70分で、ウソッコ沢小屋に到着。先客が2パーティ、3名いたのは、意外だった。彼らは明日下山とのこと。砂トラックのお陰で、気象通報の前に、小屋に辿り着けたことを、ひたすら感謝する。

【9月30日】曇
 昨年に比べ、精選されたメンバー(?)と一年間の山行の積み重ねとにより、出発も早く、歩く速さも段違いだ。ただ、横窪沢小屋〜茶臼小屋を1P半で登ろうというのは、ちと無茶であった。茶臼付近で、荒川三山より縦走してきたという、学生風の二人組と出会う。「これから一週間では、台風で大変ですネ」と言われる。まったくだ。「895mb、大型で猛烈な台風」22号が、接近しつつあるのだ。

 岳樺やナナカマドの黄紅葉が美しい仁田池を後にし、希望峰を下ると、紅葉の錦織りなす美しい仁田岳が、立派な姿でかえりみられる。2352P付近の草地で、真新しい鹿糞のそばに腰を下ろし、仁田岳を眺めつつ休憩する。次のピッチで、楽々易老岳に至る。野苺を口に入れて、大休止。

 ザラナギや、下りが迷いやすいピークを経て、最低鞍部へと下る。あたりはガスが懸かり、幻想的な森林美だ。昨秋、あれほど苦労した、水場までの窪状の登りも、難なく終わり、水を汲む。ガスが懸かっているので、イザルガ岳を省略し、懐かしい光小屋へと向かう。

 光小屋はしっかりとした造りで、我々をやさしく迎えてくれる。昨年は気付かなかったが、ノートが置いてある。夕方より、次第に天候が崩れて行く。台風22号の進路が気掛かりだ。夜になると、外は猛烈な吹き降りとなって、小屋のトタン屋根がバラバラ音を立てている。

【10月1日】風雨
 朝起きて飯を食うが、台風情報では、22号は東海沖へと接近しつつあるので、熟慮した末、エスケープにも有利、停滞にも安全な、光小屋に一日沈澱を決める。こうなると、食って、飲んで、寝るしか、やることが無い。小屋のノートを読み返し、二人で蜿蜒5-6頁も埋めてしまう。

 11時過ぎに、風雨が一時弱まった間隙を突いて、ガレ横の水場へ水汲みに出撃する。戻って、雨具を脱ぎ、吊した途端、再び激しく雨が降り出す。

 今回、ガソリンが豊富なので(昨年はミジメだったなあ)、お茶ばかり飲んでいる。22:00の気象通報で、台風22号は東海沖を通過する事が、ほぼ確実となったので、明朝は、たとえ雨風が強くとも、出発することにする。

【10月2日】霧雨のち快晴
 水場にてポリタンを満タンにし、光小屋を出発する。光岳山頂に着く頃には、霧雨もあがり、次第に晴れてくる。強風がガスを吹き飛ばし、南ア・中アの山々が姿を見せてくれる。写真を撮ろうと大タルミしていると、ますます急速に晴れて行く。「えーい、途中ビバークでもいいから、展望を満喫しようぜ」というわけで、45分間タルミとなる。かすかではあるが、槍穂も見えている。

 加加森山へは、明瞭な踏跡がついている。尤も、下りきった二重山稜部・2286付近で、カニが倒木巻きで踏跡を外し、踏跡忠実派のすうじいに十分ほど遅れる。これは、早めに声を掛けるべきであった。二重山稜の谷沿いに踏跡がついている。倒木が多いのは、光以南の深南部、さすがである。加加森山手前の幾つかのコルは草地になっていて、長閑な雰囲気だ。加加森山の三角点は、諸山岳会のプレートのある地点から、北西へ尾根らしきものを追って行くと、5分程である。

 尾根が広くなると倒木が厄介だし、踏跡も不明瞭になる。池口岳手前の痩せ尾根は、忠実に尾根筋を辿るべし。池口岳北峰の登りは、踏跡不明瞭で、鹿道的な踏まれたものを拾って行く。南峰への痩せた吊り尾根を行くと、右手に迫力あるガレが迫り、尾根を登ると、熊笹の中に、右手へ下るのと、直登するのとの二つの踏跡がある。右手のものが鶏冠山への道で、お馴染み「沼津かもしかAC」のプレートがある。

 この分岐にザックをデポし、池口岳南峰の三角点を踏みに行く。分岐に戻り、急な尾根を、笹につかまりながら下ると、やがて樹林の下りとなる。分岐から20程下ると、左手の谷より、水の流れる音が聞こえてくる。「沼かも」の指導標と、早大紅峰倶楽部の赤布があって、水場へは下り2分。

 ここでタルんで、更に下ると、大笹藪帯に入り、踏跡不明となる。笹に隠れた倒木に苦労しつつ進むと、心地よい笹原となり、鹿道が幾筋もトラバース気味についている。時折、キューンという、鹿の鳴き声がする。鶏冠山北峰の登りは、たいした薮はないが、踏跡不明瞭なため、急斜面をひたすら直登する。

 主峰たる鶏冠山南峰の登りは、木の根や岩々をホールドにして、ちょっとした登攀を強いられる。南峰からの下りもまた、岩峰を巻いたりで、結構大変である。常にルートファインディングを要求される。

 気象通報の直前に、2194Pに至る。すうじいが天気図をとっている間、カニは2194Pの南側の谷を下り、下り5分の水場を発見する。その後、少し戻った切り開きにツェルトを張り、夕食にする。秋の夕暮れ空の色の移ろいを、心ゆくまで堪能する二人であった。

【10月3日】ガスのち快晴
 昨日カニが発見した水場で、ポリタンを満たし、三又山へ向かう。2209Pは、北面トラバースの踏跡を辿る。三又山頂で、デポしてある魚肉缶詰6個を発見する。「緊急下山のため・・・、ご自由にお使い下さい」とメモが添えてあったので、食い意地の張ったすうじいが担ぐ。三又山からは、西尾根〜西俣沢方面へ下る踏跡の方が明瞭だ。中ノ尾根山方面への踏跡は、めっきり薄くなる。

 中ノ尾根山の登りでの笹藪漕ぎでは、「紅峰」と「磐田ケルンの会」の赤布を頼りに進む。山頂の三角点を目指して行くと、三角点の櫓の下に、青いテントが張ってあるではないか!国土地理院の人が、十日余りも一人で、頑張っているんだそうだ。「お客さんたち、余分なタバコ持ってないですか?」と聞かれたが、我々はタバコは吸わない。二等三角点である中ノ尾根山と、一等三角点の赤石岳とで、トランシーバ交信をしていた。

 大タルミの後、南西へと下るが、笹藪の踏跡には、丹念にビニール紐でマーキングしてある。2214P手前のコル付近から、マーキングは無くなるが、ほぼ尾根通しで、さほど笹は深くない。腰〜胸以下である。ところが、2095Pの登り下りは、極めて笹が深く、完全に頭が没する程の丈で、踏跡は全く不明となってしまう。倒木だらけで、それも巨大なものが多く、地形もノッペリで、始末におえない。巨大倒木の上に立っては、ルートを見定めながら前進する。苦しい笹藪漕ぎが続く。2602P(本当は2062Pであろう)を過ぎたあたりから、尾根は細くなるものの、倒木は多く、踏跡も未だ不明瞭である。幾つものニセピークを、喘ぎ喘ぎ越えるうち、薮が薄くなって、痩せ尾根の登りとなり、やっとのことで黒沢山に辿り着く。

 完全に果て狂ったので、例の拾得した缶詰などを食べて、大ダルミする。ここからの南への下りは、笹藪のルート判断が難しいところである。尾根が南西に向いてしばらくして、頃合いを見計らって、南へ笹藪を漕ぎ下る。赤布が一枚あったのに勇気づけられ、南東へと下る。途中、地面が出た所を経て、大倒木がゴロゴロ潜む笹藪を分けて、1901コルへと辿り着く。 南側は大崩壊となっている。ここから、笹藪を嫌って、南面の鹿道を辿ってトラバースするが、笹藪に突き当たり、結局尾根へと登り返す。尾根筋は、意外と笹が低く、踏跡がしっかりしている。1995Pから南へ15分ほど下った所で、気象通報を聴くが、概況で高気圧が覆っていることを知り、打ち切って出発する。なんとか六呂場峠まで行こうという腹である。

 1762P付近はだだっ広く、全く踏跡が不明で、頭ほどの深さの笹藪漕ぎだ。尾根が若干細くなってからは、踏跡モドキを強引に分けて進んで行く。あたりは、大分薄暗くなり、踏跡捜しは困難を極める。東へと下り始め、一度コル状に出るが、六呂場峠にしては、下りが少ないので、更に登ってみると、案の定、ハードな下りが続く。暗闇の中、痩せ尾根の急な下りを、笹やブッシュを頼りに、勘でルートを定め、バンバン下る。やっとのことで、六呂場峠と思しき、獣道が踏跡と直交するコルへと至る。ツェッルトも張らずに、尾根上の笹のトンネルでオカンする。水の乏しいビバークとなる。

【10月4日】晴
 朝、峠の北東側、アケ河内源頭方面へ、水汲みに下る。駆け下りで10分、始めは谷が広く、全く湿り気が感じられないが、踏跡を下るうちに、左岸から細窪が出合うあたりから、水が出る。登り返して、鹿ノ平方面へと向かう。六呂場峠から鹿ノ平まで、たっぷり3ピッチだ。六呂場山付近で、笹が深くなる。山頂から少し東へ下った後、北へ向かう顕著尾根上の踏跡から、南東への踏跡を分ける。要注意。鹿ノ平への登りは、最後に北面トラバース気味で、広々した笹原の上に出る。笹に囲まれた草地が、鹿ノ平である。

 ここで大ダルミして、寸又側へのエスケープルートを検討する。昨日、予想外に時間を消費し、鎌崩通過〜下山が明日中に出来るか、不安になっていたためである。踏跡がハッキリしないので、ここからのエスケープを諦め、不動岳のハントもパスして、鎌崩へと向かう。

 鎌崩岳(2075P)を越えて、鎌崩のガレ場へ近づく・・・。「げえっ!!」これは、尾根なんてものではない。ジグザグの屏風状のボロボロ岩の積木が、かろうじて繋がっているだけだ。東西の両ガレが尾根を蝕み尽くし、まさに鎌状の残骸があるだけだ。勿論、両ガレはスッパリと切れ落ちている。尾根の通過はおろか、ガレのトラバースなどとても出来そうもない。寸又側を大下巻きするにしても、何百米下降すればよいのか、見当も付かない。鎌崩の稜線核心部は距離にして100m足らずなのであるが、見た途端、「これはダメだな」と直観してしまった。

 とりあえず、すうじいが、空身で寸又側のガレっぽい支尾根を下降して、トラバース地点を捜しに行く。悪い支尾根を、ブッシュ頼りに150m程下降するが、下れば下るほど、支尾根から谷側への下降が困難になるし、谷は傾斜の急なスラブである。諦めの気持ちで、カニの待つ地点へと、重い脚を引きずって登り返す。

 カニの沸かしてくれていたお茶を飲みながら、エスケープルートを検討する。残り日数を考え、最短時間で確実に、林道へと出ることの出来る、鎌崩岳西尾根下降を決める。戸中山林道の位置・存在は、縦走中に確認しているので、地図読みを間違えずに下るだけである。

 踏跡なしの笹藪下りを覚悟しつつ、鎌崩岳南西面の深い熊笹帯をトラバースして、西尾根上に出る。と、踏跡らしきものがあるではないか。辿って行くと、「浜北労山」の赤布まである。その他、字の消えた橙布と赤ビニールテープが所々にあり、踏跡も結構しっかりしている。これは、予想外のことで、非常に助かった。2ピッチほど下ると、赤ビニテ、踏跡共に、営林署の図根点から南の支尾根を下っている。我々は地図に忠実に、真西へと薮を漕ぐ。大変な苦労をして、1424独標付近を通って、倒木と頭の没する熊笹と闘いながら西へと進むと、突然、しっかりした踏跡に出る。更に行くと、赤布・ビニテが復活。なんだ、この踏跡は、トラバースしてきたのか。やれやれ、ご苦労さん。その後、踏跡はしっかりとした山道となり、ジグザグに下るうち、伐採跡を通り、間もなく林道へと下り着く。

 小休後、林道を1ピッチ歩いて、夕食にする。例の缶詰を4缶も開ける。食べているうちに夜の帳が降りる。林道には所々に作業小屋があるので、次の小屋で寝ることにして出発する。5分程で、「清滝休憩所」に至る。中に入って、すぐに寝る。

【10月5日】曇
 今日は林道歩きのみだが、あと何十km、あと何時間歩かねばならぬのか、全く見当も付かない。まあ、律儀に歩いていれば、いつかはバス停に着くだろう。20分ほど歩くと、戸中山事業所で、ここから「併用林道」が12km続く。途中、営林署関係の車とすれ違った時に、交通の便について尋ねると、この林道の始点である灰ノ沢橋まで行けば、水窪駅行きのバスの便があるという。目標が定まったので、気を取り直して歩く。しばらく行くと、ダム湖があり、釣師が結構いる。水窪ダムまで来ると、公衆電話があり、下山報告する。ダムから40分で、橋の架け換え工事中の灰ノ沢橋を渡って、バス停へ。一日四往復らしい。

 工事のオジサンが車に乗せてくれて、水窪駅へ。昨日の分と併せて、林道歩き19km。ジョグシューのすうじいは良いが、登山靴で歩いたカニは、さぞや大変であったろう。飯田線で豊橋に出て、東海道線に乗り換える。

アルバム

T:茶臼岳から光岳

U:深南部

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