会津朝日岳・丸山岳・会津駒ヶ岳・燧岳(駒-朝日・尾瀬)

MR85 会津朝日岳・丸山岳・会津駒ヶ岳・燧岳(駒-朝日・尾瀬)

date 1981/6/6-9
コース 朝日岳入口(黒谷)〜白沢〜会津朝日岳〜丸山岳〜坪入山〜会津駒ヶ岳〜大杉岳〜燧岳〜尾瀬沼〜三平峠〜大清水
実働 第1日5h35m、第2日11h10m、第3日7h13m、第4日7h52m、計31h50m
メンバー ゆ先輩、すうじい、カニ
概要 残雪期の会津朝日から燧まで、快速縦走。
行程 【6月6日】曇
只見=朝日岳入口7:23→白沢8:10→林道終点9:23→3P→12:32叶の高手13:00→13:30熊ノ平避難小屋(泊)

【6月7日】晴
熊ノ平避難小屋4:00→4:50朝日岳5:10→3.5P→9:00丸山岳9:43→3P→12:33高幽山13:05→13:43 P1538西のコル14:15→3P→17:05坪入山17:23→17:35坪入田代(幕営)

【6月8日】晴
坪入田代6:10→6:58窓明山7:08→8:07三岩岳8:40→10:15大戸沢岳10:25→11:05駒ヶ岳12:05→2P→14:08送電線下14:45→15:32大杉岳16:17→16:38BP(幕営)

【6月9日】晴
BP5:40→6:00御池6:05→6:55広沢田代7:08→7:58熊沢田代8:12→8:58爼ー9:50→10:00柴安ー10:05→爼ー→1.2p→11:44浅湖湿原12:25→三平峠13:30→2P→14:58大清水=沼田
記録  1981年は、例年になく雪が多かった。薮縦走ベテラン:ゆ先輩がCLで、会津朝日から駒までの予定で出掛けた。カニの記録をもとに、すうじいなりの山行記録を書いてみよう。カメラの調子が不調で、最終日以外の写真は殆ど写っていなかったのが、残念である。

【6月6日】曇

 只見駅で降りると、すぐに山口行きのバスが来た。車窓からは、田植えを終えたばかりの田が広がる。黒谷の朝日岳入口で下車。

 黒谷川沿いの、雨に濡れた車道を、白沢まで歩く。未舗装の林道に入り、一時間あまり歩くと、やっと赤倉沢沿いの山道となる。横合いの谷から怒濤のブロック崩壊の音が響く。夏道は所々に顔を出している程度で、結構雪の上を歩かされる。夏道の付いた、北東にのびる小尾根に取り付く。ジグザグの急登が始まる。雪解けで、タムシバやシラネアオイ等の芽吹きや花が、とても印象的だった。この急登は、暑く苦しい登りである。

 人見の松の稜線に出ると、ようやく展望が得られ、北西方面には、鬼ヶ面山、浅草岳等が、白い峰を連ねているのが見える。朝の雨がウソのように晴れてきた。叶の高手でも、大タルミする。西方には、猿倉山、毛猛山が望まれ、東側にも青黒い山々が並んでいる。避難小屋までは僅かな距離なので、のんびり歩いて行く。熊ノ平手前のP1382は、南面をトラバースして、あっさりと初日の行程を終える。

 陽の当たるところでお茶を沸かし、行動食を食べる。時折、ブロック崩壊の音が聞こえる。避難小屋は、美しく、快適である。猟友会の残置した食料を、少し、有り難く頂いた。19時頃、四人パーティが到着。雪渓を詰めて、変な尾根に出て、薮漕ぎしてきたそうだ。ゆ先輩曰く、「もう少し天気が悪ければ、遭難してただろう」。

【6月7日】晴

 3時起き、4時発ち。シュラフカバーで寝たすうじいは、四人組のおかげで、寝不足気味。朝日岳へは、最後に急な雪壁を登らされるが、50分で到達する。細長い山頂には、東雲山岳会の手により、山名と方角を書いたプレートが置いてあった。同会の赤布は、朝日岳周辺でたくさん見掛けた。

 朝日岳から南に続く痩せ尾根は、雪はすっかり無くなっており、通行に危険は無い。ただ、ギャップが沢山あって、上り下りが面倒であった。それでも、シャクナゲ、ツツジ、タムシバの木が多く、我々を慰めてくれるし、踏跡の傍らには、カタクリ、イワウチワ、ショウジョウバカマ、シラネアオイなどの花が次々と現れて、目を楽しませてくれた。朝日沢の奥壁は凄まじい切れ落ち方で、まるで谷川岳のようだ。

 三角山を越え、丸山岳までは、夏道と雪の上を、半々ぐらいで歩いたであろうか。とにかく、快調な歩きで進む。

 丸山岳山頂は、一面の雪に覆われ、巻機山みたいな感じだ。振り返れば、会津朝日岳は既に遠く、青く霞んでいる。荒沢岳、越後三山が、青空に白く輝き美しい。パイン缶を開けて食う。シロップに雪を入れて食う「ジャリップ」が流行したが、すうじい食い過ぎて腹痛を起こす。今日の予定は高幽山までだが、まだ10時にもなっていないので、「坪入まで行くかも」という言葉も出る。南を見やれば、遙か彼方に、青く霞む坪入山が望まれる。

 「やれやれ、大変な距離だぞ」と思いつつ、丸山岳を下り始める。ここの雪斜面は、駆け下りに絶好であった。一歩で、2-3mは進めるのだ。丸山岳から先は藪、という予想だったが、稜線の東側に雪が着いているので、藪を避けることが出来る。大幅なスピードアップなのだ。所々、雪庇になっている所は稜線の藪を漕ぐのだが、それも大した物ではなく、踏跡も見られる。つい最近、毛猛山の縦走に行って来た、ゆ先輩の話では、毛猛では完全に雪の上のみを歩ける程雪が残っていたそうな。

 高幽山山頂には、群馬大と鳥取大のワンゲルのプレートがあった。群大のは、よく見掛ける明治大のと似た形で、「横山〜会津駒」縦走だという。最低鞍部まで駆け下り、午後の大タルミPart2。フルフルを作って飲む。ゆ先輩曰く「早発ちした日はいつも、今頃はタルくなって来るなあ」。

 ここから、やや藪漕ぎが長くなる。とは言え、十分くらい行けば、必ず良い雪面が見つかる。だが、疲れも出てか、思うように距離が伸びない。P1712付近で、三回目の大タルミをして気合いを入れ直し、無名のピークの北面の雪を伝ってトラバースする。東大のワンゲルが2時間25分かかって藪を漕いだという距離を、我々は僅か25分で、P1754に到達できた。

 坪入山へは、稜線の南側を登り、恐怖のトラバースの後、今度は稜線の北側の雪を登る。17:05坪入山山頂到着。丸山岳、朝日岳が、遠く北に霞む。山頂から、坪入田代方面を見下ろして、今宵のサイトを品定めしてから、駆け下る。

 坪入田代の雪原には、GW中の幕営跡か、竹ペグが沢山捨ててあった。サイトでラジオを聴いた、ゆ先輩曰く「今日も、東シナ海に高気圧が停滞している。明日の天気も、こんなもんだろう」。この停滞高気圧に、感謝する三人であった。

【6月8日】晴

 今日も晴れて、空が青いぜ。行動中の水は、水筒に雪を詰め込めば、自然に融けて得られる。始め、ゆ先輩は「魔法の水」と呼んでいたが、次第に、カニの言う「減私(滅私ではない)奉公水」という呼び方が定着する。

 窓明山までは、雪を踏んで、ただひたすら歩く。山頂からは、未丈ヶ岳、越後三山が美しい。三岩岳への登りは、疎らな樹林帯の雪上を、緩やかに登って行く。スキーで下るのに良さそうな、快適な斜面である。だが、陽射しは強く、影がみな緑色に見えるほどで、暑くてたまらん。ややロングピッチとなり、三岩岳に到着する。

 三岩岳からは、南面の雪庇状の上を歩く。陽射しは益々強く、風はあれども、暑い暑い。大戸沢岳からは、クレバスモドキも出現し、カニが腰まで填る。北側の湿原と思しき雪原を歩けば、みな、隠れ池塘に填って、靴に水が入る事件が多発する。

 会津駒ヶ岳山頂には、プレートがやたらあって、目障りな程だ。ここまで来ると、急に人間臭くなる。駒ノ小屋から、三人登ってきた。燧岳から来たらしい。ミカン缶を開けて、ジャリップする。ゆ先輩はピッケルで三角点を探っていたが、見つからなかったようだ。

 駒山頂を後にして、雪の斜面を、駒ノ小屋まで下る。小屋を過ぎると、尾根が痩せ、夏道を歩くようになる。「チョキ」こと燧岳の双耳峰が正面に見え、明日はあそこに登れそうなので、嬉しくなる。再び雪上を歩くようになり、上下から強烈な陽射しを浴びる。三人とも、真っ黒けに焼けている。

 送電線の下の監視小屋の陰で、大タルミする。さらに進んで、大杉岳にて、明日の作戦を練る。ゆ先輩は、長い山歴にもかかわらず、尾瀬沼を見たことが無いそうで、今まで燧岳を残して来たとのこと。結局、明日は燧岳に登り、大清水へ下ることにして、今日は御池手前でサイトを探そうということになった。大杉岳から下りながら、適当なサイトを物色し、1650M付近の樹林帯の雪上に設営する。

 雪を均して、平らなプラッツを作る。炊事中、男女一組が登って来た。彼らも、人混みを避けて泊まりたいのであろう。

【6月9日】晴

 今日も晴、停滞高気圧よ、ありがとう。御池まで下り、水を汲む。広沢田代の手前は、結構な急登で、息が切れる。熊沢田代への二段登りもまた、急である。

 雪の熊沢田代は、気分の良い所だ。所々木道が露出し、明るく開放的な空間である。右手には、白く輝く平ヶ岳も、姿を見せる。ここを過ぎると、雪の急斜面が続く。まだ、スキーで下れそうだ。南へトラバース気味に、蜿蜒登って行く。振り返れば、遙か彼方に、会津朝日岳が浮かんでいる。一昨日には、まだあんな所に居たのか。

 この雪の大斜面を、やっとのことで登り切ると、爼ー山頂で、至仏山と尾瀬ヶ原が目に飛び込んできた。二週間前には、あれほど純白であったのに、白の面積が半減している。殆ど白かった尾瀬沼も、今は真っ青ではないか。爼ーからの展望は素晴らしく、飯豊、会越、越後三山、奥利根、南会津、奥日光、上州武尊、谷川等々、手に取るように見える。大休止していると、続々と登山者がやってくる。平日というのに、この混雑、流石は尾瀬である。

 柴安ーへ往復する。かなり急な雪面を登るが、恐怖感は無い。柴安ーからは、巻機山などの奥利根方面、至仏山の眺めが良く、更に感動する。帰りには、急な雪面を、三者三様の○○セードで下る。カニが派手に滑り降りると、滑落と思われたか、爼ーから「キャーッ」という悲鳴が上がる。

 爼ーに戻り、荷を背負って、長英新道方面へ下る。無論、東側の雪の急斜面を、滑降しない手はない。ミノブチ岳への尾根を外れ、先ずは、ゆ先輩からグリセードで下る。次に、カニがグリセードを試みるも、敢えなく滑落し、軟雪に救われて、すぐに停まる。またもや「キャーッ!」の声。最後に、すうじい、独自の蛇行するシュプールを刻む。快適な大斜面であった。

 その後は、ほぼ夏道沿いに下る。1735で小休後、浅湖湿原まで下り、木道上で大休止。尾瀬沼東岸沿いに南下するが、長蔵小屋で騒ぐ人の声がうるさかった他は、静かであった。尾瀬沼を目指す団体さんと、時折擦れ違う。雪の残る三平峠手前で、年配オジサン軍団が地下足袋姿だったので、何となく親しみを覚えるすうじいであった。

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